4月 10, 2009

4月10日(金)

[日記] —

 昨夜は高校の同期生宅に5人ほど集まって打ち合わせがあり、少々の見過ぎた感じです。体調いまいち。
 午前中浪岡駅地域交流センター安全祈願祭へ行って来ました。隣にはリンゴ低温熟成倉庫がすでに建物としては完成した状態でありました。1時間ちょっとの安全祈願祭を終え青森までの帰路、バスの中は汗ばむほどの気温でした。今日は忙しいわけではないのですが拘束される時間が多く、なかなか動きがとれませんでした。
 これから実家で姉妹夫婦など集いて理由はわかりませんが晩餐会の予定です。何はともあれ飲み過ぎないように。

4月 8, 2009

4月8日(水)

[日記] —

 とても暖かく桜も咲きそうなほどの一日でした。午後「みなとまちづくりシンポジウム」が八甲田丸で開催され、基調講演とパネルディスカッションが行われました。青森市の新中央埠頭は大型客船が停泊できる桟橋でいながら、市街地にとても近いという国内でも珍しい立地条件を備えているということでした。この新中央埠頭からまっすぐの柳町通りの活用法によっては、多くの観光客の需要を満たすことが可能なのでは、という意見がパネリストの佐々木市長から出されていました。
 夜「持続可能なまちづくり推進議員団」の会議が行われ、選挙状況および今後の方針確認をしました。結論はやるっきゃないということです。あと10日間、支持者に訴えて1票ずつ獲得して投票日を迎え、出た結果が民意です。

4月 7, 2009

4月7日(火)

[日記] —

 素晴らしい天気の中、通学路には親子手を繋いで登校する新入生の姿が目につきました。朝9時半に大野小学校へ行き、新しい校長先生のいる校長室を訪ねました。入学式の来賓はPTA会長のみなので校長室はガランとしていました。入学式が行われる講堂に行くと一年生たちは本当に初々しく、無邪気さと緊張相半ばする面持ちで座っていました。つい2週間あまり前に同じ会場で卒業式に出席したので、この子たちが6年後あれほど成長して巣立っていくのかと思うと教育というものの持つ力を実感させられます。
 午後は南中学校の入学式へ。こちらはさすがにもう半分大人だな、と思わせる生徒たちの行動でした。式の雰囲気も小学校とは違い、より厳格さを増したものでした。私自身自分が中学校に入学した昭和48年以来、36年ぶりの中学校の入学式でしたのである意味こういうものだったかな、という感じがしました。
  今世の中全般に非常事態ともいえる大変な時代ですが、子供たちにはそういうことを気にせず勉強に打ち込める環境を確保してやりたいと思います。しかし仮にやむを得ずそれがかなわないとしても、子供たちにとってそういう状況を自覚し考えることもまた大切な勉強ではないかと思います。まずはみんな元気で勉学に励むことができますように。

4月 6, 2009

4月6日(月)

[日記] —

 事務所のパソコンはやはり重大な事態に陥っているようで、業者の方が本体を持ち帰って調べることになりました。何とか復活して欲しいものです。
午後には「持続可能なまちづくり推進議員団」会議が行われ、市長選での今後の役割分担と取り組みについて協議をしました。少なくともほとんどの議員間では現状は認識されており、こちらも重大な事態に陥っていることは間違いありません。投票日まであと2週間を切り、何処まで劣勢を挽回できるか正念場です。
 明日は大野小学校の入学式(PTA会長は22日の総会で承認されるため明日の祝辞は旧会長がすることになります)での挨拶の後、午後には南中学校の入学式に出席します。娘は今日クラス編成を見に行き、明日以降の通学を楽しみにしているようでした。
 途中3回ほど試しに走ってみたものの、約3ヶ月ほどほとんど走っていないため体型は見るも無惨なものになっています。ということで今日から心を入れ替えてひたすら走ろうと思い、手始めに夜走りましたがタイムももの凄く遅いし距離も稼げない有様です。しかし可能な限り走り続け3ヶ月前の状態にまで戻さねばと思います。日中は選挙で歩き、夜はジョギング。そして晩酌・・・。

4月 5, 2009

4月5日(日)

[日記] —

 実に良い天気の一日でした。昼前後にかけて地域の町会女性部の集まりに出て来ましたが、グループホームの代表者の方もお見えになっていて、施設を取り巻く環境の現状などを聞くことができました。また操車場跡地の新駅、流雪溝整備、定額給付金給付時期などについても質問がありました。そんな話をしている最中に北朝鮮のミサイル発射のニュースが流れましたが、皆さんもちろん狼狽するわけでもなく達観した感じさえありました。これが男性だと北朝鮮に断固たる態度を取るべきだとか、実力行使も辞さずなどと強行な意見が出るのですが、女性たちはそれよりも今の日々の生活の方が重く、「騒いだって仕方が無いじゃない」という雰囲気が伺えます。女性軍の方が腹が据わっているなと思いました。
 今日は妻と実家の母が生け花小原流五所川原支部の50周年で出かけているため、日中は子供たちと留守番という役回りだったのですが、そういう会合への出席もあり私の妹家族にだいぶ面倒を見てもらいました。
 明日は長女が南中学校のクラス発表と入学式の練習だそうで、初制服のため気合いが入っており、まだ9時だというのに早くも寝る準備をして2回に引き上げました。
 私は午後1時から選挙関連の打ち合わせが入りました。今日床屋で聞いた話でも市長選に関しては、新人候補のかなりの優勢という声が圧倒的だということでした。しかし選挙はふたを開けてみなければ何があるかわかりません。

4月 4, 2009

4月4日(土)

[日記] —

 体調はすこぶる悪く鼻づまり及び咳がひどく、地域回りもなかなか覚束ない状態でした。早めに帰り体を休めていましたが、夜近くから鼻もっ通ってきた感じがしてかなり良くなりました。後は喉から肺にかけての違和感が改善すれば万全でしょう。
 日中家内は次女を連れて実家の鰺ヶ沢へ行っていたので、長女と留守番になりましたがお互いにやるべき事をして(?)、マイペースで過ごしていました。多くのことに期限は付き物ですがだからといって徒に焦ってみてもしょうがない、少なくともそれでよい結果が出るとは思えません。そういうときほどゆったり構え、自然の流れに逆らわないことが肝心であると思います。怠けてちゃいかんけどね。
 それはさておき以前に書いた本について。友人が貸してくれた童門冬二作「上杉鷹山」はとても面白いです。まだ半分くらいしか読んでいませんが、わずか十七才で他家から養子に入り米沢藩主となった上杉治憲の話ですが、藩主といえば今の首長に例えられると思います。財政難で二進も三進もいかなくなった米沢藩を再建するための改革に取り組む姿は、今日の日本の自治体とオーバーラップして仕方がありません。
 後半が楽しみです。

 

4月 3, 2009

4月3日(金)

[日記] —

 午前中図らずも5人全員会派控え室に集まり、昼頃佐々木選挙事務所へ行って来ました。その後各派代表者会議の報告および、今後の選挙対応を協議しましたが、方針についてはそれぞれに異なる意見もあり現状はなかなか一丸とはなりきれないようです。今のところ各自がそれぞれの領分で自らのやり方で頑張るしか手はなさそうです。
 午後タイヤ交換というか前の夏タイヤがもう使えないので、新しいタイヤに買い換えました。例年になく早いタイヤ交換です。事務所で調子の悪いパソコン(というかパスワードを受け付けないので立ち上げすらできない)と格闘しつつ、3月までコンピュータ関係の仕事をし、このたび64才でめでたく退職した昔の玉(ビリヤード)仲間N氏に来てもらいましたが如何ともしがたいようでした。
 一昨日から鼻と喉の調子が悪くてしんどいのですが、熱がないのが救いです。今日は早めに寝て明日は地域の方を回ろうかと思います。ゲホゲホ。

4月 2, 2009

4月2日(木)

[日記] —

 朝佐々木選挙事務所によってから議会に行きました。みんな力を振り絞って頑張らねばという雰囲気が漲っていました。勝負は下駄を履くまでわかりません。結果を今論ずることは試合放棄です。
  夕刻より久々に高校の同期が集い、近況報告と今後の同期会運営について話をしました。我が家から歩いて10分ほどのお好み焼きやでの会合でした。あっという間にに3時間以上が過ぎみんな酒と食べ物で満腹になり、話の内容はともかく満足して帰路につきました。人と人との関係は実に妙なるものだと思います。そのことを突き詰めようとするだけでも一生かかることなのかも知れません。だからこそ面白い・・・。

4月 1, 2009

4月1日(水)

[日記] —

 今日から新年度。TVのニュースではトヨタやJALなどの入社式などが報じられていました。会派控え室にも今日から議会事務局に来た職員や、部署が変わった部長級の人たちが挨拶に見えていました。新たな持ち場で心機一転仕事を始めるのも良いものだなと思います。
 市長選の方はなかなか我が陣営には明るい話題もなく、相変わらず苦しい戦いを強いられています。野球のように一発逆転の満塁ホームランはないので、一人ひとりが自分の役目を果たし、つないでいくしかありません。チームがどれだけ一丸となれるかが決め手です。

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