6月 14, 2009

6月14日(日)

[日記] —

 午前中少林寺の会議が青い森アリーナで行われました。今年は県大会・全国大会も同会場で行われる予定で、出席した県内各支部の皆さんによる熱心な話し合いや質疑がなされました。私はなにせ30年以上のブランクに加え最近の大会事情についても全く無知なので、話の中身は皆目分かりませんでしたが会場に集まった人達の中に、昔から知っている人達を見つけては懐かしく思っていました。皆さん昔とお変わりなくとても元気そうでした。
 午後帰宅してからはしばし体を休め(休めるほどの活動は何もしていないのですが)、そのままだらだらと晩酌モードへ。
明日は朝市で市民病院へ行き診察後、一日早く一般質問の通告をして聞き取りも済ませるつもりです。

6月 13, 2009

6月13日(土)

[日記] —

 午前3時頃に目が覚めて本を読むなどして、5時過ぎに朝刊が来るのを待って読み、7時過ぎからまたうとうとするという,理想的な休日の怠惰な時間を過ごしました。日中も寝不足がたたって結構ごろごろした感じの時間を過ごし、ある意味からだと心の休息ができました。
 夕方知人のKさん宅で焼酎を飲み、その後新町のカラオケボックスへ。カラオケボックスへ行ったことがないと言うKさんのたっての希望で行ったのですが、私自身何年ぶりかなというカラオケでした。結構エネルギー使いますね。
 ふ~・・・。

  

6月 11, 2009

6月11日(木)

[日記] —

 平成21年第2回定例会が告示されました。新市長の下での初めての定例会ということもあり、各会派とも良い緊張感というか高揚感が漂っている気がします。一般質問の通告締め切りは16日ですが、27・8人の質問者が立ちそうです。建設的に大いに議論でき、議会が本来の機能を発揮して活性化されれば言うことはありません。
 今回はちょっと早めに準備をしようかな、などと思っています。

6月 10, 2009

6月10日(水)

[日記] —

 本日は文教経済常任委員会が開催されました。当委員会は第2回定例会提出予定案件が無く、報告事項のみでしたが学区再編計画等について質問が結構出されました。子供たちの教育環境整備については、私も現市長に質したいことがありますので、18日開会の第2回定例会で質問する予定です。
 夜は高校の同窓会役員会と合同実行委員会がありました。顧問の宮川隆英氏が挨拶で「去年の今頃からちょうど1年が過ぎました。当たり前のことのようですが当たり前ではありません。去年の今頃は今年の同窓会懇親会を開催してよいのだろうか、という話まで出ていました。」という話をされました。昨年の6月8日に秋葉原で卒業生が起こした無差別殺人事件の直後のことでした。犯人の同級生はもちろん、当時の在校生にも大きな影響を与えた事件でした。まだ1年しか経っていないのかという思いですが、起きてしまったことは変えられないし一番被害を被ったのはもちろん被害者とその家族でしょう。
 同窓生が罪悪感を感じる必要はないと私は思います。学校の責任なのかと言われれば、それは違うでしょう。青森高校の卒業生は旧制中学の時代から37,000余名いますが、学校に問題があったとしたら同様の犯罪を犯す人間がもっといるはずです。原因は何処かにありますがそれは学校が悪いとか家庭が悪いとか、ましてや社会が悪いなどという言い訳をする輩は自分の責任を回避しているだけにしか思えません。
 合同実行委員会後、同期で集まり今年のチケットを割り当て久しぶりに旧交を温めました。まずはみんな元気で。

6月 8, 2009

6月8日(月)

[日記] —

 そろそろ6月議会が近くなってきて、会派内でも具体的な動きが出始めたかなという雰囲気が漂ってきました。それとは別にやはり秘書課長の人事に関しては、まだまだこのままでは済まない問題を孕んでいそうです。分かりにくい弁明やうやむやに使用という様子が見えれば、それは市民には敏感に伝わります。つまるところは市長の明確で誠実な説明に尽きるのだと思います。
 午後土地開発公社顧問会議があり平成21年度の予算が示されましたが、柳川庁舎の取り扱いについて質疑が交わされました。旧浪岡町との合併間際のことで、合併推進債を活用して購入しようとしていたものが、合併反対派の当時の浪岡町長が手続きをとらず、購入資金に窮して土地開発公社が借り入れをして取得したものです。
 夕方運動に行きましたが、元に戻るにはまだまだ時間がかかりそうです。右手首の怪我も1週間リハビリをしてだいぶ動かせるようにはなりましたが、まだ6分程度といったところでしょうか。骨の付き具合も来週月曜日の検診までわかりません。間接の可動範囲もまだ狭いのですが、以外と筋力の衰えによる影響があります。恐らく腕そのもので怪我以前より2センチくらいは細くなっています。よって握力もなくなっているし。手首の曲げに対して前腕の筋力が追いつかないという感じです。

6月 7, 2009

6月7日(日)

[日記] —

017.JPG                                                         一昨日夕刻から雨模様となり、昨日は終日雨で外出する気も失せるような一日でした。そんな中恒例の大学OBを主に開催している「白門青森囲碁大会」が行われました。毎年6月と12月の2回開かれており、私も3年ほど前から参加させてもらっておりますが、今回は一昨年6月以来の参加となりました。今回18回目を迎え人数はやや少なく、8人の以後愛好家が集いました。腕前は様々で上は八段から下は十級(これは私)まで。私3年前から一向に上達せず、先生であるT先輩(日本棋院指導員)には大変申し訳なく思っております。最近は先輩に戴いた囲碁雑誌やテレビ囲碁講座なども見るようにしており、今後いっそうの努力で棋力向上を目指したいと思います。
  今日はテレビでプロゴルフを見ていました。日本ツアー選手権で40才の五十嵐雄二が初優勝しました。先週の兼本に続き30代40代の選手が初優勝し、頑張ってきた人達が報われてとても救われた気がします。ゴルフという競技は野球などに較べ、プロとして食べていくのがとても難しいスポーツです。確かに40代でも現役選手としてプレーはできますが、試合で稼がなければなんの保証もない世界です。事実強優勝した五十嵐選手は昨年の賞金獲得額0だそうです。今日の優勝で一息つくことなく、もっともっと活躍して欲しいと思います。 

6月 5, 2009

6月5日(金)不祥事

[日記] —

 朝から議会では市役所幹部職員の不祥事の話で持ちきりでした。先月の新市長による人事で議員の間で「首をかしげるようなもの」があると書いた職員です。今回の移動の前に所属していた部署で職員親睦会の積立金を使い込んだというものですが、過去にも不祥事で6ヶ月の停職処分を受けたことのある職員が、5月の移動で市長の職務に直結する秘書課長に抜擢されたものです。異動の際に過去の賞罰は当然にして把握されているはずですし、それでもなおその人材を登用したということになります。いかなる理由があってそうしたのかは知る由もありませんが、市長の任命責任は免れません。市民が納得できる対応をしなければなりません。
 夕方青年会議所の先輩のお通夜に行って来ました。私の3学年上でまだ51才でした。腎臓ガンから胃や肝臓に点してわずか半年で他界することになりました。ご両親や妻子を残して行かなければならないご本人の無念図り知れません。

6月 4, 2009

新校舎視察

[視察] —

  019.JPG 051.JPG            文教経済常任委員会で、改築になった新城小学校と中学校の視察に行ってきました。
小学校の教室は壁を取り外せ、廊下と完全にオープンにすることができます。手洗い場は廊下の中央にあり、全体に採光に気を遣った明るい構造です。多目的スペースの他ゆったりと余裕のある校舎で、たいしたあずましい空間という印象で、これだと学校にいるのが楽しいだろうし逆に家に帰りたくなくなるのではとさえ思いました。
 中学校では各教室に非常時のブザーが取り付けられてあり、どこの教室で鳴っているのか職員室で分かるようになっています。また防犯カメラも取り付けられていて不審者対策にも配慮がなされています。教育環境としてはとても整備された望ましいものです。全ての学校がこのようになれば良いのですが、現下の財政状況では非常に厳しいことです。

6月 1, 2009

6月1日(月)

[日記] —

028.JPG                                                                                               うっほほ~い。ギブスが取れた!4週間四六時中片時も離れることなく一緒に過ごしてきて、もはや私の属性になりかけていたギブスが取れた。そう思うとここで離ればなれになるのは一抹の寂しさを覚えぬでもないが、盛者必滅・会者定離は世の常。ギブスよこれからは一人で生きてくれ。
 病院でギブスをカットし腕を洗ったときには4週間分の垢が、あとからあとから止めどなく出てきて「ああまだ我が身は活発に新陳代謝をしておる」などとと感慨に耽るわけもなく、きりがないので垢擦りはそこそこにして診察室へ。先生の見たてによるとレントゲンでは骨はまだ完全にくっついているわけではないが、ずれてはいないのでギブスはやめて今日からサポーターにしましょうということに相成りました。
 4週間体を動かすこともなく飯食って、酒を飲むという日々を過ごした当然の結果として、腹のまわりにはたっぷりの脂身が蓄積されました。矢も楯もたまらず夕方帰宅後サンドームへ行きましたが、やはり左腕はまだほとんど使えずトレーニングはほんの気休め程度しかできませんでした。(要は腕を使わなくても良いマシンのみですな)ジョギングにはほとんど影響はないものの、1ヶ月のブランクは私から持久力と脚力と心肺機能を奪い去ってしまいました。
 思えば骨折前日の5月2日には初めて40周(12km)走り、この分だと5月は150kmくらいは余裕で走れちゃうかもね、などと今思えば脳天気な皮算用をしていたのが嘘のようです。人間一寸先は何があるかわかりませんね。無事これ名馬、君子危うきに近寄らずのたとえもあるし、怪我には気を付けねば(といってもどうやって気を付けるんだという気もするが)と痛感しています。怪我による痛みや苦しみもあるけれど、それによってできなくなったことが大きい。
 家に帰ると長女が「おとうさんギブス解放おめでとう」の手製の横断幕を作ってくれていて、思わず涙ぐむとともにいつもにもまして晩酌がはかどりました。ただ骨折部分の痛みはないものの、ずっと手首を動かしていないので可動範囲は制限され、その部分での痛みはまだまだあります。今後はリハビリに努め1週間後の完全復活を目指します。

アウガ説明会

 本日(6月1日)午前10時より青森駅前再開発ビル(通称アウガ)の、第17期経営状況説明会が筆頭株主兼債権者の立場にある青森市によりなされました。株主総会後に説明は聞いていたので内容は知っていましたが、全議員を対象に市長をはじめ理事者がこのような形でアウガの問題を取り上げるのは初めてです。
 鹿内市長もアウガの存続を望む点では同じと考えますが、問題はそのために今後も市として財政支援をするのか、それに変わる方策があるのか、なければ(ひょっとして1年後にもあり得る)アウガを整理するのか、選択肢はそれほど多くはないと思います。現時点ではアウガの売り上げ増による経営健全化に望みを託すということになるのだと思います。
 さらなる税金投入はしないという考えであれば、それ以外の支援策を早急に考える必要があります。ただいずれにしても市そのものが経営しているわけではないので、何処まで関われるか(口出しできるか)という問題はあります。しかし新幹線開業前にアウガ破綻などという事態はなんとしても避けたいと思います。

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