1984
焼結金属工業株式会社(現SMC)へ入社
例の倒産事件直後、面接に行ってその場で採用を決めてくれた会社。待遇も良く、26才で南米の旅に出るまでのおよそ2年間、この会社に勤務した。
1986
南米一人旅に出発
将来結婚したら行けなくなると思い、独り身のうちにと、かねてからの夢であった南米の旅出ることを決意。言葉の勉強もほとんどせず、出発直前、成田空港で「トラベルスペイン語初級」という本を買って、飛行機のなかで勉強した。その後10ヶ月かけてペルー、ブラジルなど、南米5ヶ国を旅した。
言葉が分からなくても、バスの乗り方から、ホテルのチェックインまで、必要なことはなんでもしなければならない。危険と隣り合わせの生活で、必死に毎日を過ごした。この時の経験で、人間、大概のことは乗り越えられると思うようになった。

1987
帰国
帰国後、青森に戻り、塾の講師をした。寮に入って勉強する子どもたちの面倒を見たりもしていた。中学・高校、大学浪人まで受け持った生徒は幅広い。
 
1990
コンピュータメンテナンスを仕事に
そのころよく通っていたビリヤード場で知りあった方から、コンピュータメンテナンスの仕事に誘われる。ソフト、いわゆる中身ではなく、ハード、外側のメンテナンス。中身のメンテナンスより意外と簡単かもしれない。修理が終わってお客さんが喜んでくれるのがうれしかったなぁ。
1994
結婚
友人の結婚披露宴に出席した際に知り合った女性と、34才の時に結婚。それが今の妻。現在は2児の母となりパワーアップ中。家庭のことでは頭が上がりません。
1995
現在も取締役を務めている青森興業(株)へ入社。
昭和57年に父が設立した会社だが、不動産・建築部門を新設するということで私が加わることに。

そろそろ(!?)中年時代へ